パワポケ12、14の実在選手、OBのパスワードを大量公開!!


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査定論

査定論

第一章 導入


1項.はじめに


ワシはこんなもの書きとうなかった!!
と言い出すつもりはないが、どうやら昨今ブログ内でパワプロの特殊能力の考え方を問われたり、
オフ会で会うなりパワプロ査定センスがとかわけの分からないことを言われるようになってきたので、
査定師adioというなんとも慣れない響きにて筆を執る。

多分これを読む人の大半は、たかがゲームの能力に何熱くなってるんだアホなのかと思われるであろうが、
中二病の方々が分厚い設定資料を持ち出していると同義と思ってくれれば幸いである。
正直導入だけにこの記事を書いたがこの導入章だけで4000字以上になる。
そらそうだろう・・・adioという人間は学生時代修学旅行記が書きあがらなかった人間だ
1日目の新幹線に乗るまでで5ページ以上を使い、そのページ1つ1つに1000字以上を費やす人間だ。
そんな人が語ると言い出すのだ、それはこの世の終わりくらいの気持ちでいた方がよい。
単純に纏める力が無いだけである、本当に査定したい人だけが進むとよい。
後に査定タイプには解説があるだろうが、その思想は長州藩くらいに過激派だ。
正当派をみたい人は回れ右。


2項.査定とは

ここで定義する査定とは
実況パワフルプロ野球内にて実在選手・OB選手を作成する時に、
その選手を表す為選手の基礎能力の決定や特殊能力を選定することを査定と呼ぶ、
昨今のパワプロアプリ内で金特殊能力を沢山付けて高いランクを取る為の査定とは異なるものである。

なおこれ以降語られる査定とは青の血の進化管理人adioの独自の査定であり、
KONAMIのデフォルト査定(以下公式と記す)ものとは無関係である。

また本査定論はadioの査定方式を公開する目的であり、査定方法を強制するものでは無く
これが正しいというつもりはない、査定は人それぞれである

3項.査定を何故するのか

そもそも何故パワプロ査定というものが存在するのか主な理由は2つあると考える

1つは存在しない選手を作りたいという意志
2つは公式の査定に納得がいかない時

つまり公式が全時代全年度全選手を公開しその能力に誰も不満を持たなければ、査定という概念は誕生しない。
査定とは公式が万能でない故に発生する理論である
査定と難しく考えるがその根幹は上記2つであり、至って単純な考えだ

「パワプロでイチローを作りたい」
「もっとこの選手はこうあるべきだ」
「弱すぎる、強すぎる」

このような簡単なことが査定のはじまりだ、
従って実在選手をサクセスモード等で作ろうとした人たちは皆少なからず査定をする。
査定は誰にでもあるもの、誰でも出来るものだとadioは常日頃からそう思っている。
だからこそ個人の思想を公開するなどおかしな話だ、書きながらそう感じている。


4項.査定に対するスタンス

前項目から査定に対する基本スタンスもまた変わる、こちらの図で説明しよう
感覚派

査定タイプの縦軸
1つは限りなく公式に近づけるタイプの人
導入はこちらが多いと思う、特に考えない人や、存在しない選手を作る場合の人の多くは
公式の模写から始まり、段々考えが固まると公式ならどうするかを考える
査定理由も比較的明確で公式はこうであるというところで落ち着く。

長所として、比較的に査定が綺麗であり、公式に近い査定の為一般受けが良い。

短所としては、個性が無くなりやすい、
査定スタイルの変化(99→2000以降→100段階という風に変化する公式の査定に対応しなければならない。)
多くは模写で終わり、何故そうなったのかということを意識しにくい。
存在しない選手は公式がどうであるかという研究をはっきりさせないと他人の査定に影響されやすい。

2つ公式のこれはおかしいと独自路線を貫く査定の人所謂反公式タイプ
公式の査定に疑問を持ち、独自の査定を貫くタイプの人は

長所として、独創的視点で相手に影響されにくい、小さいものでも必ず理由が存在する

短所としてはっきりとしたものが無ければその大部分は主観であり理解されにくい、
主観がない選手は結局公式よりや他人の模写になってしまいがち、
理由付けが浅く多くのケースに対して有効ではない、
例えばこの選手のパワーはこうでなければおかしいと食ってかかったはいいものの、
類似の例を出された時にその主観が通用しなかったり具体的査定基準を持っている人に弱く、多くが破綻する。


この公式、反公式がグラフの縦軸ならば横軸は査定理由が基準重視か感覚重視かという問題になるだろう
基準派は分かりやすいが、その反面基準に縛られすぎると独創性の損失や例外への対処が難しい。
基準と言っても様々で例えば身体能力重視(50mは何秒だから走力はA)というのも立派な基準である。
基準自体に独創性があるなら話は別だが・・

感覚派は基準がない分自由な査定がしやすいが他者に理解される理由付けが難しい、
また過剰査定にもなりやすい傾向にある、こんなイメージだからといって強くなりがち、
こちらはイメージの無い選手との差が激しくなり、多くに該当させるのが基準より困難だ
究極になると査定理由が存在しなくなる、これで多くの選手査定が行えるのは天才だと言える。
実際にそういう査定師さんがいる話をadioは聞いている

無論能力別に感覚と基準を分ける場合もある(むしろ大半だが)、大きく分けるとこんなところだろうか

5項.査定師adioのスタンスと理念

adioの場合前項のどこに分類されるか
ずばり、反公式の基準重視、独自の視点やルールを元に査定をする
公式タイプまして感覚派とは相反する存在である。
簡単に言って武闘派査定です。

もし公式寄り基準派査定を見たいなら港の星達ともぴーさんの査定基準を見るとよいこれがデフォ寄り基準型の最前線だった。

過去系にしたのは、この査定基準だがあくまで15段階の時のデフォに合わせたものであり、
今の100段階査定においてデフォに寄せるとなると感覚派査定になり、
今のあの方の査定スタイルも公式寄せ感覚派に分類されるので注意が必要です。
なんにせよ最近のあの人の査定を見ればデフォ寄せの最前線の意味が分かる。

ちなみにadioはまだ15段階査定の名残が基準に見られる

基本adioの査定には大きな特徴がいくつかある

1.逆転を嫌う
2.例外を最初に考える
3.記録上の副産物を嫌う
4.贔屓、アンチを査定に入れない
5.場合によって声を査定に取り入れる


解説すると

1.逆転を嫌うadioは選手能力を成績を出す為の力と捕らえている。
この為、控え選手がスタメン以上の能力を出すことに抵抗がある。
スタメン同士も然り、技巧派の.260が長距離型の.300を超えてはいけない。
あとは年度による査定の逆転も嫌う、ボールや球場がという複合的要素ではなくあくまで成績。
1980年の.260 30本と2017年の.260 30本は=である
ゲーム内では成績が逆転してはいけない。スタメンはスタメン、控えは控え。

ただし2つ目に関係するが例外として英智のようなスーパーサブの存在を高く評価している
また二軍クラスでも外野の強肩など1点だけ得意な点も評価対象になる場合がある。

嫌うのは入団したての選手がこの選手は身体能力が高いなどの理由で試合に出なくとも
レギュラークラスのように扱うことである、難しいのはこの比率、各能力のところでも詳しく説明する。
簡単に言えばプロが身体能力は高いのは当然大事なのは潜在能力ではなく実績。


2.例外を先に考える
adioは比較的基準重視であるが基準重視=数字重視というわけではない。
ある意味で柔軟で、基準といいつつデジタルを嫌っている。

例えば数字を重視すると例えば守備範囲の狭い選手のエラー1という数字と守備範囲の広い選手のエラー1が
同等に扱われてしまう、また5番目にも関係するが基準といっても数字に出ないものは当然評価されない。
数字による基準を認めれば逆転をの理念と反することにもなる
そこで基準作成時にはまず例外を考える、その例外を元に逆転が起きても納得が出来る理由を作る。
その上に基準を考える、足りない時は過去の事例を含め例外を考える。
100の基準に1を置くのではなく、1の為に100を決めるのがadioの査定である

3.副産物を嫌う

これは主に大打者、大投手にありがちだが
例えば500本の本塁打の選手が打点のランキングで上位に来たり、
通産満塁本塁打の上位に来ることは当然と考えている、
そういう選手を特別満塁に強いという扱いにはしたくない、
三振が多い=速いカウントで打つであり、それを初球に強い選手と一概に結び付けたくないのだ。

4.贔屓アンチを査定に取り入れない

厳密には取り入れている。
ただ好きだからこの選手を強くしたいとか、嫌いな選手だから弱くしたいという感情はない。
その逆、好きな選手だからこそその選手査定が客観的に見て贔屓ではないかと厳重に査定し、
アンチだからこそその査定は厳しくないかと甘くなる。それがadioだ。
まぁ好きの為に例外を作るケースも存在はするのだが、
1つ言えるのは好きと嫌いはよく見ているということだ

5.声を取り入れる
adio査定の特徴の醍醐味、サイト批判や球場の生の野次の声を取り入れることがある。

例えば知らない選手について調べる時に勿論wikiのような当たり前な情報は手に入れるが
生で見ていたものが与える印象は全く違う、そういった印象は当たり前の情報では手に入らない。
生の為に例外規定や多くの特殊能力が動く場合がある。

掲示板のようなところに行くとあの選手はチャンスに強かった印象がある、といった生の声が多数ある。
勿論それらは数字を伴わない場合もあるが、もし多くの人が抱く印象が数字以上であるならば、
その印象はなんらかの形にして査定にしなければ嘘になる。それがadioの信念だ。

そんな生の声が見れるのはTV観戦、究極は球場観戦である。
解説がけん制について誉めればその選手のけん制に注目するし、同じプレーを見た人々が今や
SNS等色々なところに声を投稿する、その声をadioは見る、球場観戦なんて宝である。
自分の好きな選手に注目して試合も見れれば、球場の歓声、ささいなプレーや動き、
何よりその場にいる常連の野次、こいついつもボールから入るんだよ~
みたいな、数字には出ない案外当たる野次・・・成績を残せない外国人の印象。
査定として生かしたい情報が無限にある。

今の中学生は90年代を知らないどころか藤川のストレートですら過去のものとなりつつある。
それを馬鹿にする気は無いが、そういった世代に生を伝えるためにも試合は多く見て、
その生の感じを査定にし選手の真の姿を知ってもらいたいというのがadioの査定信念である。

そして例え公式と相反する査定であろうともその選手を見ていた人たちがこんな選手だった、
特殊能力を付けた理由にそんな細かいところを見ているのかと納得してもらえればadioとしては最高である。
個人的な話をするとオフ会でレオ・ゴメスの走塁をEにした部分を細かいところまでよく見ていると
誉めてもらったのが最高に嬉しかった。

そういう査定がadioの基本理念である
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2017/10/21 10:03|査定論TB:0CM:0
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